多くの人の中の「普通」からはみ出たときに、考えたい事

 

見えない弾は、いつも、どこにいても飛んでいる。
それに当たって死ぬなんて誰も信じていない。でも、その見えない弾は、無数にこの平和な街に放たれ、どこにでも飛んでいる。それが見える人には、殺人も事故死も、唐突ではない

 

「愛のむきだし」という映画の中のセリフです。

この映画にハマって、4回ほど映画館で見ました。監督も女優さんも好き。

当時はふーん、くらいに思っていた、このセリフ。最近になって、妙に思い出します。

生きていると、なんでこうなるんだろう・・・と、思いたい事に陥ることがあります。

わかりやすくいうと、噂話好きのおばさま方が

「かわいそうね〜。」

とか言ってそうな、多くの人の中の「普通」ではないこと。

(完全に偏見ですが、多分この表現が一番わかりやすいと思います)

 

生まれた時から血管に奇形があって、足がむくんでいる小児の弾性ストッキングの計測をしたとき、接しかたに迷った事があります。

それは、おそらく自分の中で、「こんなに小さいのにかわいそう」という気持ちがあったからだと思います。

話していると、他の子と何一つ変わらないのだけれど、「かわいそう」という気持ちをベースに持ちつつ、間違いのない接しかたを探っているような、自分の中でもやっとした感覚がありました。

 

自分が多くの人の中の「普通」からはみ出てみて、一番しっくりくるんじゃないかと感じた表現が、このセリフ。

やっぱり悲しいですよ、自分は「普通」とは違うんだ、と現実を突きつけられるのって。

ただ、このセリフを自分に当てはめれば、運が悪かっただけだなと、気持ちの整理ができる。

人に対しては、弾があたったんだなと思える。

こう考えただけで、めちゃくちゃ楽になりました。

 

数年前は、まさかこのセリフがこんなところで出てくるなんて思いませんでしたが、自分の見たもの、体験したものは何かしらの形で自分の糧にはなっているようです。

 

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この記事を書いた人

牧原 広実のアバター 牧原 広実 理学療法士

愛知県蒲郡市出身。
理学療法士21年目。
リンパ浮腫の患者さんとの出会いをきっかけに、むくみの勉強を始める。
むくみ専門クリニック、弾性着衣メーカーの勤務経験あり。むくみや慢性的な痛みのアプローチが得意。

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